信太(シダ)家 銚子 秋田 佐竹藩 平将門 安倍晴明 百済 日本書紀 平家物語 信太家 志太義広 清和源氏 ひとりごと

信太(シダ) は銚子と秋田に特に多く、それほどめずらしい姓でもない
ただ、読み間違いが多いので困っている。

我が信太家は代々銚子で回船問屋江戸時代の商社)を営んでいた。
秋田に多いのは、江戸時代初期に 佐竹藩が国替えになり、
佐竹藩士だった 信太一族が秋田に移り住んだ為。
江戸崎に信太の庄があった。

更に歴史をさかのぼると、百済の貴族? 平将門の弟の血筋? 
安倍晴明伝説にも、日本書紀平家物語にも信太が出てきます。

古代史 志太義広 清和源氏
恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

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古代史 ひとりごと ぐるなび

志太義広 清和源氏

タイ及び近隣諸国は占いが盛んで、人生相談の場にもなっている? バンコクではモンティエンホテルの2階に数人の占い師が常駐。 英語の出来る占い師は、手相と生年月日(占星術)で観る男性占い師とタロットカードの女性占い師がいる (500Baht)。

面白HP占星術 手相 姓名判断 ZENA Yahoo占い 風水 アストロナイト 綾部匠子-手相 サンドバス

1982年、7年近く駐在したマレーシアのクアラルンプールから帰国する年の初め頃、当時現地の一流紙にも毎週執筆していたラジパールという占星術と手相を能くする有名なインド人の占い師がいて、筆者の一生を1時間以上かけて観てもらい、録音テープにもそのご託宣を残してある。 これが、今から振り返っても ほとんどぴたりと当たっている。

占いとは不思議なもので、その後、バンコク、プノンペン、香港、東京、ニューデリー、ロンドン等で何人かの占い師(生年月日時で判断したり、 手相をみたり、カードを使ったり様々)にも度々観てもらったが、何故か、ご託宣の内容はほとんど同じ。

"禍福は糾える縄の如し"は7年周期? Jopttings (Malaysia)


如是我聞:
仏陀は死後の世界について一言もふれていない。悟ると転生しなくなる?
http://www.mikkyo21f.gr.jp/concept.html
キリストの云う神の国は地上の話で、どんな国かは説明なし。(明日にでも来る?)
最後の審判の日までの死後の世界についての説明もない。
教義:神のために人間はある(神の所有物)、予定説(救済される人もあらかじめ決まっている)、
三位一体(Trinity)viz.キリストは神−内的信仰のみにて救済−神の国で永遠の生命。

豊饒の海  三島由紀夫 (新潮 968.09 - 1970.04 掲載)
 第3巻
暁の寺
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/akatsuki.html

小乗仏教(上座部)

南伝大蔵経本生経(ジャータカ)は バーリ語原典の面影を残す

仏陀入滅100-200年後、小乗二十部に分かれた。

アショカ王治下のマヒンダがセイロンに伝えた分別上座部
(分別上座部三蔵 律蔵 比丘二百五十戒、 比丘尼三百五十戒)が
タイ、ビルマ、カンボジア、ラオス等に伝わった。

南伝上座部 アビダルマ教学(Milinda-panha) ナーガセーナ長老 
“輪廻転生を惹き起す業の本体は゜思゜すなわち意志である”

背筋を伸ばすには、まず尾てい骨のスワリを良くして、
髪の毛数本が上に引っ張られる感覚を。
腹式呼吸はお腹をへこませて口をとがらせ息をはきだし、
鼻から自然に入ってきた空気は臍下丹田に。

我々は本来無我
思がこれに乗って、
貪(とん)、瞋(しん)、邪見、無貪、無瞋、正見の
六業道を以って、 輪廻転生を惹き起す


思はこのように輪廻転生の原因であっても、
主体ではない。
主体はついにわからずじまい。

来世はただ今世の連続であり、
この世と 一つながりでつづいてゆく
終夜の燈明が生なのであった。

三世実有法体恒有説:小乗
濃厚にものうく流れる褐色の川の如く
現在実有過未無体説
大乗
 激流、滝としてこの世界を解する 阿頼耶識


西洋の輪廻転生説:

アジアから来たディオニュソス信仰と
ギリシャ各地の地母神崇拝、農耕儀礼が結びつく。
(源は一つ 冬とともに死に春とともに蘇る、
自然の循環的生命を体現)。

オルペウス教団(紀元前6-7世紀):
密儀化された エントゥシアスモス(憑霊)、
エクスタンス(脱自)
霊的体験-恍惚

中国には古来"薬石"
と言う言葉があるように、
ある種の石は健康に効果あり。温泉も同じ。


神話: ディオニュソス
ザグレウスはゼウスと地母神の娘ペルセポーネ との間に生れた、
父神から未来の世界統治を委ねられた鍾愛のみどり児だった。
嫉み深いゼウスの后ヘラが地下の巨人ティターンどもを起たしめ、
ティターンどもがザグレウスを虐殺し、 手足をばらばらにして、
煮て啖ってしまう。 心臓だけがヘラよりゼウスに奉られた。
ゼウスはこれをセメレーに与えて、そこから新たに
ディオニュソスとして再生した。
一方、ティターンどもの仕打ち怒ったゼウスは、雷霆を以ってこれを撃ち、
焼かれたティターンの灰から、 のちに人間が生れた。 

かくして人間は、悪しきティターンの性を享ける一方、
彼らが啖ったザグレウスの肉の余香によって、
神的な要素を体内に保つ
のであるから、オルペウス教団は、
エクスタシス(脱自)によってディオニュソスに帰依し、
自己神化によってその聖なる本源に達しなければならぬと説く。
その聖餐の儀軌は、のちにキリスト教の聖餅と葡萄酒にまで及んでいる。
"霊肉の分離 - 輪廻の苦しみ"


ピュタゴラス教団
: 輪廻転生説 & 宇宙呼吸説
(= ミリンダ王の生命観霊魂観、古神道)、
霊魂不滅と輪廻転生を信じた。

ヘラクレイトス - 万物流転の哲学者:
憑霊と脱自は合一し、一者は一切であり、
一切より一者は来り、一者より一切は来る。
時間も空間も超越した領域で、自我は消え去り、
宇宙との合一は楽々として成り、
或る神的体験の裡に、われわれはあらゆるものに成る。
そこでは人間も自然も、鳥も獣も、
お互いの存在の枠を外して 、 融和合一することができた。

修道士トンマーゾカンパネッラ (16/17世紀;伊):
バラモン教徒の輪廻転生説をボテーロより学ぶ。
“コーカサスにおけるソネット”に輪廻説が仄見える。 
“死後の霊魂は、地獄へも煉獄にも天国へも赴かない”と説いた。


ジャンバティスタ ヴィコ(18thC):

ニイチェの永劫回帰の先蹤の位置;

感覚の野蛮-反省の野蛮-文明の野蛮-感覚の野蛮-

“神と被造物とは別個の実体であり、そして、
存在理由と本質は実体に固有であるから、
創造された実体はその本質に関する限りに於いても
神の実体とは別個の異なったものである。”


大蔵経 弥蘭陀王問経
知的優越者 ナーガセーナ長老(紀元前2世紀)

尊者よ、私が那伽犀那と呼びかけますとき、
そのナーガセーナは何者ですか?
* あなたは那伽犀那は何者だと思われるかね?

尊者よ、身体の内部に存し、風(呼吸)として出入りする
生命(霊魂)を、私は那伽犀那であると思います。
* 笛を吹く者の息が、一旦外へ出て再びかえって来ることは
ないのに、しかも彼らが死ぬことがないのは何故か?


尊者よ、何人でも、死後また生れ返りますか?
* ある者は生れ返りますが、ある者は生れ返りませぬ。

それはどういう人々ですか?
*
罪障ある者は生れ返り、
罪障なく清浄なるものは生れ返りませぬ。

尊者は生れ返りなさいますか?
* もし私が死するとき、私の心の中に、生に執着して死すれば、
生れ返りましょうが、 然らざれば生れ返りませぬ。

善哉、尊者よ。 無我であるのに、なぜ輪廻があるのか?
 - アビダルマ教学では“我(アートマン)”を否定。
* 実体としての輪廻の主体はない。
(精巧な唯識論の体系が出来るのは後の世)
時間とは輪廻の生存そのものである。

スウェデンボルグ 前世チェック

ノストラダムス予言解釈 ルーツ君

燈明の譬え:

その夕べの焔、夜更けの焔、
夜のひきあけに近い時刻の焔は、

いずれもまったく同じ焔でもなければ、
そうかと云って別の焔でもなく、

同じ燈明に依存して、
夜もすがら燃え続ける。


マヌの法典

自存神-水-種子-黄金の卵-梵天(ブラフマン)誕生。

輪廻の法(ダルマ)

およそ人の転生を三種に分かって、
一切衆生の肉体を支配する三っツの性のうち、

よろこばしく、寂静で、また清くかがやく感情に充たされた
智(サットヴァ)の性は、
転生して神となり

企業を好み、優柔不断、正しからざる仕事に従事し、
又つねに感覚的享楽に耽る
無智(ラジャス)の性は、
人間に生れかわり


放逸懶惰、無気力、残忍、無信仰、邪悪な生活を営む
タマスの性は畜生に生れ変る と説いていた。

玄奘三蔵法師

西遊記

チベットの死者の書 前世と来世

 


ブリハダラーヌヤカ ウバニシャド:

まことに善行の人は善となり、悪行の人は悪となり、
浄行によりて浄となり、悪行によりて黒となる。

ゆえに曰く、
人は慾(カーマ)より成る。
慾(カーマ)に従って意向(クラツ)あり、
意向(クラツ)に従って業(カルマ)あり、
業(カルマ)によって輪廻(サムサーラ)あり。


大乗仏教 唯識論
 

唯識。無着(アサンガ)。大乗阿眦達磨経
経、律、論(アビダルマ):

“諸法は識において蔵せられ、識は法におけること亦しかり、
この二は互に因となり、 またつねに互に果となる” 
種子生現行、現行薫種子、種子生種子

同時更互因果

現在一刹那だけが実在

刹那に実有を保証する最後の根拠が阿頼耶識であるならば、
同時に、 世界に一切を顕現させている
阿頼耶識は、
時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在する。

仏陀の言葉 死のイメージ

六識
眼、耳、鼻、舌、身、意。
末那識 
自我、個人的自我のすべてを含む。
阿頼耶識
存在世界のあらゆる種子を包蔵する識。

生は活動している。阿頼耶識 が動いている。
この識は総報の果体であり、
一切の活動の結果である種子を蔵めているから、
われわれが生きているということは、畢竟、
阿頼耶識 が活動していることに他ならない。

その識は滝のように絶えることなく白い飛沫を散らして流れている。
つねに滝は、目前に見えるが、一瞬一瞬の水は同じではない。
水はたえず相続転起して、流動し、繁吹を上げているのである。
“恒に転ずること暴流のごとし”(ヴァスバンドゥ/世親)


種子燻習。
阿頼耶識自体に、輪廻転生を惹き起す主体も動力も、
二つながら含まれている。
業種子は間接原因(助縁)。

三種の燻習
名言種子、我執種子、有支種子
(欲有、色有、無色有)。

阿頼耶識と染汚法の形ずくる迷界は、
相互に依拠している(悟達への道を閉ざさない為)。
現在の一刹那だけが実有であり、
一刹那の実有を保証する最終の根拠が
阿頼耶識であるならば、
同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、
時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在する。

Chanty Top

ジャータカ(仏陀) 空海(密教) 曼荼羅  新約聖書 旧約聖書

東京の某所にて、手相に、運命線が中指に達し、中央にミステリアスクロスインド寺院があり、
小指が長、財運線太陽線がはっきり出ている方とお目にかかり、長時間お話を聞かせて頂く機会を得た。
特に財運線の太さと長さには驚いた (これは並外れた霊感の強さもあらわしている)。

数年前にカンボジアのプノンペン郊外で前世も見える占い師がいると言うので行ってみた。、
村の若者だが
(場違いに)ハンサムで気品があった
後に、前世がカンボジアの国王だったことが証明され、今では王宮にも迎えられて、TV、ラジオ番組にも出ている由。

前世が誰だったか見える人にも世界各地でお目にかかった。占いと同じで、大体同じような事を言われる。
筆者は、5000年前から何度も生まれ変わって、政治的にも重要な役割を持ったが、チョンボをしたことも多々あり、
未だに悟りきらずに転生を繰り返している由。 現世では、信仰心も薄く、超能力もまだ出てきていない? ドーシテ?

古代エジプト文明 凝然大徳(八宗綱要) 新約聖書 旧約聖書 宗教リンク集 輪廻 鈴木大拙

安部清明陰陽師) 出口王仁三郎霊界物語」 スウェデンボルグ ノストラダムス予言解釈 エドガー・ケイシー 

高千穂の神話と伝説 高千穂 天孫降臨 富士山 地震予知研究センター(京大)

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A.R.E講演会要約(1996年4月)
――配本「輪廻する魂」から抜粋――

『生命の連続性に関するエドガー・ケイシーの考察』 ジョン・ヴァン・ウォーケン

 我々は死んだ後どこに行くのかということを理解するためには、肉体的に生まれる前に我々がどこにいたのかということをまず理解する必要がある。

 「エドガー・ケイシーのリーディングは、肉体の死の後も存在する我々の一部は、肉体的に生まれる前にも生きていたと説いています」とジョンは言う。「生命とは連続した体験であるという考え方は、ただ単に『死後の人生』と言うよりはもっとずっと幅の広い概念です。意識の点から見ると、我々は今この瞬間、始まりも終わりもない永遠の世界にいるのです」

 ヴァン・ウォーケンは、魂の創造と個々の意識の目的について詳しく述べている一連のリーディングについて語った。

 「一なる力であるところの神から、多くの個々の意識の点が生まれました。魂としての我々は、進化するために、それぞれが自分自身を知るために、さらには心が全なる神と一体であることを認識し、またそうなれるようにという目的で生命と自由を与えられました。ケイシーによれば、神が仲間を欲しいと望まれたその瞬間に、すべての魂が創造されたということです。これは、地球が誕生するはるか昔に起きたことです。つまり、地球が存在するずっと以前に我々は霊魂としてすでに存在していたことになります」とヴァン・ウォーケンは語った。

 リーディングによれば、個々の霊魂(リーディングではしばしば「実体」と呼ばれる)は、肉体の誕生と同時かあるいは誕生の数日後に肉体に入るということさえある。ヴァン・ウォーケンは、誕生して数日してから肉体に入った、エドガー・ケイシーの妻ガートルードの珍しいケースについて述べた。

 「ガートルードのために取られたリーディングは、今回の人生が彼女にとって困難なものになるだろうと、述べました」とジョンは説明した。「魂には、その人生をいきるかもしくは向こう側の世界にとどまるかを選べる時間的制限があるようです」

 この選択できるという能力が、乳児の突然死、つまりSIDS(乳幼児突然死症候群)に関する質問の答に役立つかもしれない。あるリーディングでケイシーは、子供を亡くした母親に、彼女の赤ちゃんは「創造主のもとに留まること」を選んだのだと語った。

 しかし、これらの条件が、すべての者にとって、憤り、憎しみ、非難といったことのないやり方で用いられることになっていることを知りなさい。それどころか、現状において、それは変更できないものであり、魂がその創造主と一緒にいることを望んだのだ、ということを理解しなさい。
(480-37)

 さらにジョンは、次のように付け加えた。「また別のリーディングで、正確な占星術のチャートを得られるように正確な誕生時刻を質問した女性がいました。肉体の誕生と魂の誕生を2つの別々な出来事ととらえることこの魅力的な考え方は、次のような質問と答を導きました。

質問: 魂は肉体が誕生する前にその中にはいることがありますか?
答え: 初めて肉体的に息を吸うときか、物質次元における循環活動の最初の24時間中に入るのである。このように常に最初の呼吸時に入るとは限らないのだ。魂が肉体に入ろうとする際に何時間もかかることもあれば、入ってくる魂が入れ替わることさえもあるのだ。

質問: 魂が宿るまで、何が肉体を生かしているのですか?
答え: 霊である! なぜならば、本質である霊、その霊の根源は生命、すなわち神だからだ。わかるかな?
(2390-2)

 「このリーディングは、多くの魂たちが誕生に先駆けて母親と父親の近くにやってきていることを示しています。肉体に宿る前に、個々の魂は、今ここで肉体に入ることによって、私の魂の目的を達成できることができるだろうか、と自分自身に尋ねるのです。おの地上において我々が自由意志を持っているのと同じように、そのような魂の能力は向こう側の世界にも存在しているのです。両親だけでなく、物質生活で成し遂げられることの青写真まで選ぶのです」とヴァン・ウォーケンは言う。

 「この世に入ってくることが決まると、『ベール』を通過して、肉体の次元へと魂が移動します。このベールとは、ケイシーが呼ぶところの、あの世とこの世の間の記憶のバリヤーのことです。この世に入ってくるということは、砂時計を通り抜けることにとても似ています。我々は、意識が自由に流れる広大で解放された次元からやってきて、この物質界へと下りてくるのです。そのような移り変わりの時点で、より深い霊的意識が覆い隠されてしまいます。物質生活に入るとき、あるいは生まれるとき、霊的な部分は死んでしまうのです。同様に、肉体的に死ぬということは、霊的世界に誕生するようなものです」

 「我々がここに生まれるとき、三次元のものの見方を発達させ、この次元を自覚しその力学を理解するには時間がかかります。我々が死んでこの世を去るときも、他次元を認識することに没頭する過程があります。リーディングは死の直後に起こる非常に多くの変化を詳細に説明しています。他界の直後にはびっくりするような体験がありますが、この時点においてもまだ魂は人格の自己の部分をたくさん持っています。一時、この『影の自己(シャドーセルフ)』というものが現世とつながっていますが、やがてはより高い意識へと移行し、拡がりを持った魂の自己の一部になります」

 人格の自己がその移行を完了するとき、肉体的な死に際し驚くべき出来事が起こる。それは、潜在意識(夢を見ているとき働く我々の一部)が魂の顕在意識になるということだ。人格の自己は消失するのでも、破壊されるのでもなく、魂のより大きな意識の一面になるのだ。

 徹底した瞑想へのアプローチを指導しているヴァン・ウォーケンによれば、瞑想や祈りを通して、顕在意識が内なる霊的自己ともっと同調できるようになるにつれ、意識は自然と拡大するということだ。

 「瞑想するたびに、我々自身のこの超意識の部分が徐々に顕在意識の上ってくるようになります。瞑想により、個人性、つまり我々の意識を超えた部分を暮らしの中でより大きく顕現させることができると、私は信じています」

 講演の最後に、ヴァン・ウォーケンは次のように語った。

 「自分自身を理解し、自身が聖霊の経路となるよう努めるとき、死という変化をより用意に意識的に切り抜け、?諧謔(?)な気づきを得られるだけでなく、自分は永遠な存在であるという完全なる理解をも得られるのです。生命の連続性とは、単なる希望的観念や信念ではなく、我々がどうしても知っていなければならないことなのです」


エジプトの神秘を解くケイシー・リーディング
――配本「甦るエジプト」から抜粋――

質問: 大ピラミッドの建造が実際に始まり、終わったのはいつですか?
答え: 建造には100年を要した。アラアラート王の治世の時代に、ヘルメスとラーによって着手され完成した。

質問: その時代はBC何年ですか?
答え: 平和の御子(注:イエス)がエジプトに入る前の10,490年から10,390年前のことである。

質問: 空の石棺は何を意味するのでしょうか?
答え: もはや死がないということだ。誤解してはならない。死に対する解釈が容易になるということだ。

質問: スフィンクスの姿は何を意味するのでしょうか?
答え: 国土の位置に最初の変化が生じた時代、アトランティスから人々――あるいは今日の言葉であらわせば「物」たち――が脱出し、ナイル川(当時は「ノール」と呼ばれた)はコンゴ側の大西洋(今日で言う)の注いでいた。サハラ砂漠はその時代、肥沃な土地であり、土地の端には太陽を崇拝する人々の都市が建設されていた。それというのも、太陽光線を使うことで、今日(植物の)成長に必要なものを得ていたからである。また、進歩と退歩、両方に使う能力があったが、今日の我々がそうであるように、大半は退歩した。これらの塚(マウント)の始まりは、その土地にはびこりつつあったものを解釈したものである。(その当時、ほとんどの人は尻尾を持っていた!)。それらの始まりにおいて、これらが残された。

 まだ発見されていない記録のある貯蔵庫、つまり記録保管所(注:ピラミッド)とともに(スフィンクスの)右前足の部分に部屋、または記録の部屋・記録の墓の入り口に到る通路が存在する。ここにはある理解を持たずして入ることはできないだろう。なぜなら、かの聖山で彼らが新しくされるまでは、すなわち、第5根源人種が始まるまでは、番人として残されたものたちを通過することができないであろうから。

 ピラミッドと神秘の中の神秘と呼ばれるもの(スフィンクス)の建造においては、これは今日の言葉で言えば、その土地の物質的な事柄を支配あるいは統治していた執政官、あるいは長官職に就いていた人物に対する記念碑となるべきことが意図された。(しかし)神官の帰還にあわせて(神官はそれまで帰還を禁じられていた)、これらは後に――女王イシス、つまりラーの娘によって――その国の人々に対して、人間や動物あるいは肉の世界と、様々な効果の中で消滅していく変化との関係を示すものとして、その目的を変更された。これらのことは、その国の様々な場所にある多種多様なスフィンクスに色々な形で表されている。例えば、人間とライオンを組み合わせたものであるとか、色々な形の翼、様々な成長段階を示すものがある。これらのものは、今日人間となった者たちが様々な成長段階において引き継いできたところの投射体を表現している。
(5748-6)

質問: 封印された部屋には何があるのか、詳しく教えて下さい。
答え: 霊魂がアトランティス大陸で受肉し始めた頃からのアトランティスの記録と、そこで人類がどのように進化・成長していったかの記録がある。そこには、その大陸を襲った最初の破壊と、そこで起こった変化の様子、さらにはアトランティス人が他の国々で行った活動の記録がある。また、アトランティスの最後の崩壊と秘儀のピラミッドの建設に伴って必要になった国際会議の記録があり、そこには、沈没したアトランティスからの写しである記録を、いつ、誰が、どこで開くことになるのかが記されている。なぜなら、地球の変動に伴って、その(神殿)が再浮上するはずだからだ。
(378-16)

質問: エジプトのスフィンクスのそばにあると言われる記録から、過去の歴史を発掘する人は誰でしょうか?
答え: アトランティスの「一者の法則(Law of One)」の記録に定められていたように、完全なる道を全うする3人の者が現れる。地上での滞在経験において、その霊的経験、先進的経験、肉体的経験をバランスさせてきた人々が見出される時、彼らを通して、求め続けていた人々、待ち望んでいた人々に対して、その存在が長く宣言されてきた真理が地上で保存されてきた仕方を物語るものがはっきり示されるであろう(それは、神がその子らのために保存されてきた精神的・霊的恵の影のごときものである)。そうして彼らがそれらを伝える水路となるであろう。なぜなら、主が言われたように、誰が宣するかを教えるのは私にあらず。ただ、そのような宣言に値する人生を送ってきた者たちが宣するのである。
(3976-15)

 物理的な記録に関しては、これは世の中に蔓延している利己的な動機が断ち切られるまで待つ必要があるだろう。なぜなら、覚えておくがよい。これらの記録は世の中の動きという視点から作られたのであるから。それゆえ、あなたがたの活動は普遍的な形を取らなくてはならない。されど、その普遍性は個々人に適用されるものでなければならない。

 信仰を持て。その能力は自己の内にあることを知るがよい。

 汝らは、あの時代を通じて人類の歩みにあれほど大きな力を示されたあの方の子孫であり、あの方を助ける者たちであったのだ。それゆえにこそ、今一度、汝の影響力、汝の力、汝の愛、汝の進行、汝の能力を、この暗黒の時代における人類のために捧げたまえ。
(2329-3)


古代エジプト文明 代表的な人物

ナルメル王(メネス王) (紀元前3100年頃)…初期王朝時代

 「ナルメル・パレット」に刻まれた、上・下エジプト統一の王でメネス王と同一視されている。
王は上エジプトの出身で、都はメンフィス。

クフ王 (紀元前2550年頃)…古王国時代

 神王理念による中央集権化が確立をし、ギーザ台地に大ピラミッドを建設た有名な王であるが、現存する記録は少ない。 神々を侮蔑的に扱ったとの逸話と巨大ピラミッドの建設から暴君との歴史的評価を受けたが、近年の研究でその評価の見直しがなされている。

ハトシェプスト女王 (紀元前1500年頃)…新王国時代(初期)

 王家の谷の東側にある女王の葬祭殿は古代エジプトの神殿建築の最高傑作。(義)子トトメス3世の摂政から女王となる。雌牛のハトホル女神になぞられているが、雌牛の優しさと併せ持つイシス女神のような勝気の性格から、女王の死後、子トトメス3世は遺跡から女王の姿を削り取った。葬祭殿の様式の変化と同様に女王の治世には神を含めた外来の思想が王朝に採り入れられたと私は推測してる。乳香や没薬などの香料等の貿易を通じ近隣諸国との和平外交をした才女で、調和を意味するオベリスク(「焼き串」からのギリシャ語、古代エジプト語はテケン)が物語る 謎にも興味が惹かれる。女王の死後、トトメス3世が軍事遠征で国土を拡大したことから、両者には外交上の確執があったものと思われる。残存する女王の付け髭をした王像にて男装をしていたといわれているが、王像は髯で表現する決まりがあったので、この説は当らない。雌牛の持つ慈愛に満ちた優しさの像が彼女を如実に語っている。

アクエンアテン王 (在位紀元前1379年〜1362年)…アマルナ時代     [2001.8.24補記]

 アメンヘテプ4世の改宗名。テーベで強力化したアメン神官達に対抗し、遷都地テル・エル・アマルナで王宮内で信仰されていたアテン神に帰依して一神教への宗教改革を行う。アテン神は太陽とその光のような実態が見えない(偶像が無い)のと、直接礼拝は王室のみで、庶民は各戸に奉った神棚の王室の姿を描いた石碑を拝むという、従来の形式を無視した新宗教であった。この為、神官のみならず庶民の信仰信が王から離れ、王の死とともに宗教改革は失敗した。外来の新しい様式の芸術を取り入れ、王家の家族愛を中心とした現実描写の美術が栄えた。

トゥトアンクアメン王(ツタンカーメン王) (在位紀元前1361年〜1352年)…アマルナ時代

 1922年に発掘された王家の谷62号墓の遺宝で最も有名なファラオであるが、実像は未解明である。(義)父はアクエンアテン王といわれ、9歳で即位し、18歳で死んだ。遺宝の多くはカイロ・エジプト博物館の特別室に展示してあるが、王のミイラのある62号墓も一見の価値がある。

ラメセス2世 (在位紀元前1304年〜1237年)…新王国時代(初期)

 ラムセスとも表記されていますが、誕生名が太陽神ラーの子の誕生という意味の「ラー・メス・シス」ですので、私はラメセスと表記しています。

 アブ・シンベル大神殿を始めエジプト国内に最も多くの建造物を残し、67年間の長い治世をした長命の王。 先立った美貌の正妃ネフェルタリの為に王妃の谷の墓やアブ・シンベル小神殿を造った。シリアでヒッタイト王とカデシュの戦いに挑み、その様子と和平調印文がアブ・シンベル神殿内に刻まれている。

クレオパトラ7世 (在位紀元前51年〜30年)…プトレマイオス朝時代

 イシス女神を信奉する才女で、ギリシャ系(マケドニア人)の古代エジプト王朝最後の女王。ローマ帝国のカエサル(シーザー)の力を利用して王朝の継続を願い、カエサルの死後、武将アントニウスと結びローマ軍と戦うがオクタヴィアヌスに敗れ、自殺する。 デンデラのハトホル神殿に姿を残し、美貌といわれるが、実像は見当たらない。

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道元 曹洞宗 只管打座 永平寺-78代住職-宮崎禅師 小塩老師 一生まねすればほんまもん。  

教えは実行する為にある。 平気で生きていることが悟り。 法にかなったのが大自然。

心身一如。 前後裁断。 欲を克服 - まっすぐ - 只管打座


鈴木大拙 東洋哲学

"日本には宗教は無い"とは、”キリスト教のような宗教はなかった”の意。

仏教は宗教であり、哲学であり、生活なり。 おのずからなる。おのずから然る。

鈴木大拙(明治・大正・昭和期の仏教哲学者):

日本では、あまり知られていないが、西洋世界に禅の思想を広くしらしめた、知られざる禅の巨人。 

心理学者ユングは彼の思想に多大な影響を受けている。 鈴木大拙氏の著書「禅仏教入門」ドイツ語訳の序文はユングが書いている。 

アメリカの雑誌「ライフ」が1960年末に行った世論調査では、「世界に現存する最大の哲学者は?」という問いに、圧倒的多数で、ダイセツ・スズキ(鈴木大拙)の名前が上がったという。

物理学者フリッチョフ・カプラ氏も鈴木大拙氏の禅思想に感銘を受けたひとり。 最先端科学である量子力学と東洋思想の共通点に注目し、著書「タオ自然学」を著した。 同書は世界的ベストセラーとなっている。

そしてその「タオ自然学」は、映画『マトリックス』の監督ラリー・ウォシャウスキーの愛読書でもあり、映画のストーリーに反映されている。

映画『マトリックス』のストーリーの根本にある考え、『この世は、仮想現実(幻)である』という思想は、タオ自然学(量子力学)→東洋哲学(禅、ヨーガ、道教)→ユング(心理学)へとつながっている。

つまり禅の『空』の思想、『無我の境地』の世界は、心理学の『集合的無意識』となり、現在の人気映画『マトリックス』へと引き継がれていった。

本名:鈴木貞太郎 (1870-1966・明治3年-昭和41年)
昭和41年7月12日没 96歳 

1870年 金沢市生まれ。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎と親交を結び、加賀の三太郎と称された。

1891年 上京し、東京専門学校文学科、ついで東大に入学。学生時代、鎌倉の臨済宗円覚寺の今北洪川(こうせん)、釈宗演(しやくそうえん)に参禅、大拙の道号を受けた。

1897年に渡米。イリノイ州の出版社オープン・コートに入り哲学者ポール・ケイラスの助手となり、東洋哲学・仏教書の研究、翻訳に従事。「老子道徳経」「大乗起信論」を英訳し,「大乗仏教概論」を英文で出版。

1909年帰国。学習院教授、東大講師を経て、1921年大谷大学教授となり、英文の仏教雑誌「イースタン・ブディスト」を創刊、仏教思想を英文で世界に伝える活動を始める。

1936年には外務省の交換教授としてイギリス語大学で「禅と日本文化」を講じ、その後も世界各地で仏教思想を説いた。

1949年文化勲章受賞。生涯にわたり禅思想を中心にひろく大乗仏教思想を世界に広めることに尽力した。和文約100冊、英文約30冊の著書を刊行、和文著作は『鈴木大拙全集』、『鈴木大拙撰集』に収められている。

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陰陽師 安倍晴明公 文殊院のHPから抜粋

安倍晴明公は平安時代に陰陽推参の術のエキスパートとして登場し、 式神を使役して怨霊や悪鬼を封じ、 天文を解して事変を予告した日本最高の陰陽師であると共に、 日本陰陽師の祖とも仰がれている人物です。

晴明公はその秘術があまりにも超能力者であったために、 昔から魔除け、災難除けの主神として全国で祭られています。 反面余りにも謎の多い人物であった事から彼の出生については様々な説があります。 誕生の地については讃岐の国や河内の国の阿倍野、 また当山のある桜井市阿部の地などいろいろと取り沙汰されており どの地で誕生したかの確証は有りません。

その訳は安倍晴明があまりに唐土の妙術に優れていた事と、 和泉の国の信太の森の白狐を母として持つという 「信太伝説」が広く世に知られていたために、 人々は畏敬の念を持って晴明を見、 ここに数々の伝説が生まれたからと思われます。 この信太伝説は浄瑠璃としても古くから上演されこの伝説を更に有名にしました。

此れによれば、 和泉の阿倍野に住んでいた安倍保名(晴明の父)は 安倍家の興隆を念じ信太明神に熱心に参詣していました。 ある日参詣の折狩猟に追われて保名の元へ逃げ込んできた白狐を救います。 白狐を助け山門を出るとそこで保名は絶世の美女、 葛の葉と言う女性に出くわします。

一目惚れした保名はその美女を自宅に伴い結婚するのでした。 この女性こそ保名に助けられた白狐が変身した姿であったのです。 そしてまもなく二人の間に可愛い男の子が生まれ童子丸と名ずけられました。 その後数年親子は仲睦まじく暮らすのですがある秋、 母親の葛の葉は庭の菊の香りの素晴らしさに酔いしれて 白狐の本性を童子丸の前にさらけ出してしまったのでした。 これを恥じた葛の葉は障子に 「恋しくば訪ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」 の歌を書き残し家を去るのです。

帰宅した保名は障子に書き残された歌と童子丸の話から総てを悟ります。 翌朝、保名は童子丸を伴い信太の森に出向き葛の葉を求めてさ迷い歩きます。 すると葛の葉が姿を現し保名に告げるのでした。 一度白狐の姿を見せた限りは最早人間界へは戻れません。 その代わり可愛い我が子の童子丸に霊力を授けましょう。 と告げたのでした。 こうして霊力を得た童子丸はこの後数々の霊能力を発揮し、 朝廷の陰陽博士にまで出世するという話です。

史実に残る安倍晴明とはいかなる人物であったのか。 晴明は少年時代に当時陰陽道の第一人者であった加茂忠行に弟子入りをしました。 彼は少年時代から超能力を備えた秀才であったようで、 師匠の忠行はその能力を見込み陰陽道の極意を 忠行の息子の加茂保憲と共に総てを伝授したといわれます。 「今昔物語」によれば「此ノ道ヲ教フル事瓶ノ水ヲウツスガ如シ」とあります。 つまり瓶の中の水を他の容器に移すように、 一滴も洩れることのない程に教えたとあります。 若き日の晴明が歴史的に確実視されている陰陽道の師は この加茂忠行とその息子である加茂保憲の父子です。 加茂忠行は当時肩を並べる者無き人物で 公私にわたり尊い者として取りたてられた。 とあり、また加茂保憲も当時の記録によれば 「当朝は、保憲をもって陰陽の規模となす」とあり、 二人ともいかに当時の陰陽道の第一人者であったかが窺えます。 晴明はこうした親子二代にわたる陰陽道の第一人者である師から伝授を受け、 加えて天才的才能が加わった事で陰陽師としての実力が開花したと言えるでしょう。 こうして安倍晴明は平安時代における陰陽師としてその第一人者の地位を得、 朝廷においても彼の陰陽の判断無くしては 天皇や高官の政治的決断がままならぬほどに大きな影響を与えたのです。

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相対性理論

岡倉天心 鈴木大拙

 宗教 :
 
世界各国の歴史と文化を知る上で欠かせない知識の一つとして宗教があります。
小室直樹氏の著作を中心にまとめてみました。
 
* 儒教:聖人が天子となって良い政治を行なう(国家,天下の救済)
    君子は義に喩り,小人は利に喩る。
 
    死 :魂は天に昇り,魄は地に潜る。子孫が祭祀を行えば天と地から戻り復活。
   奇蹟:瑞祥“聖人が現れると龍, 鳳凰, 麒麟などの瑞獣が現れる”− 吉兆。
 
 「漢代初期」
    五経(易,書,詩,礼,春秋)+ 論語
    先王(堯,舜,禹王,湯王,文王)= 聖人
    孔子=紹介者,祖述者,伝道者
    論語=訓詁,注疏の学
 
 「宗代:太祖,太宗の宰相趙普」
    宗学=朱子学 ― 科挙の経学の試験問題
    四書(大学,論語,孟子,中庸)
 
  「明:成祖 永楽帝(1360-1424)」
        四書大全, 五経大全 − 科挙の国定教科書
          八股文 − アンチョコ
 
*仏教:‘空’の超論理学 (形式論理学,記号論理学Symbolic logicをも超越;
            実在論そのものを否定) 
         空海:   http://www.mikkyo21f.gr.jp/concept.html
    教相判釈−新作聖典も可
      釈迦−転法論   法前仏後
 
    色即是空、空即是色: 一切が空であるがゆえに、一切が成立している。
      “ひきよせて むすべば柴の 庵にて とくればもとの 野はらなりけり”
            “露と落ち 露と消えぬる わが身かな 浪華のことは 夢のまた夢”
 
    因果律 − (縁起、因縁): ‘縁なき衆生は救いがたし’- 輪廻転生
       死後の世界に就いての問いに対し、仏陀は黙して語らず。
       霊界の存在にも言及していない(地獄極楽は中世のお坊さんの創作?)
 
    唯識論:“すべて存在するものは、本当は仮にそう考えておくだけであって、
         実体は一刹那に実在して一刹那に消える”
       人間の身体は6ヵ月経つと完全に細胞が入れ替わる (分子生物学)
 
* キリスト教(啓典宗教): 神前法後
        神のために人間はある :(神の所有物)
 
    予定説 : (救済される人もあらかじめ決まっている)
 
    三位一体(Trinity): キリストは神 (中国語では‘天主’)
               − 内的信仰のみにて救済 − 神の国で永遠の生命
               − 神と隣人への愛(agape)の戒め
      キリストの贖罪死により無条件、無限な愛が発動され原罪は赦された。
       神の国は何処にありどういう所か言及された記録は残っていない。
      あくまでも地上の話で、霊界や魂に就いての言及はない。
 
        聖書(ギリシア語):
       ルター訳 (1522)
       欽定訳(1611)
 
    秘蹟(Sacrament): Catholic; the seven Sacrament:
                          洗礼(Baptism),堅信,聖体,告解,終油,叙階,婚姻
 
    ニケア信条:イエスは完全な人間であり,完全な神である
 
    アリウス派:イエスの神性を否定
 
    コプト教:イエスの神性を強調し人性を軽視
            (ギリシャ正教に異端として弾圧迫害を受けエジプトへ逃れた)
 
    景教(ネストリウス派):唐代に伝わる
    
     十字軍,大航海時代:“異教徒は人間ではない”
             − 皆殺し(Genocide), 掠奪(Plunder)
 
     Protestant: 神に選ばれた者は神の御心に適う法律を作ることが出来る。
          − 近代法
 
      Paul(使徒パウロ): 二分法 (内面の信仰,外面の順法)
               − 資本主義, Democracy, 現代法 の成立
 
*イスラム教 (Islam; the Koran): 宗教の戒律,社会の規範,国家の法律が全く同一。
                        ユダヤ教(Judaism)も同じ。
 
      Muhammad: 最も優れた最後の預言者 (キリストも預言者の一人)
 
      神=Allah: 三位一体の否定;99の特性(天地創造,全知全能,遍在,慈悲-etc.)
                  アッラーには妻も親も子もない
                  アッラー, この生ける神, 永遠の神をおいて他に神はない
 
       予定説:天命“天地間のすべてのことはAllahの意志による。例外はない”
         − (現世限りの予定説)
 
      因果律:“よいこと”(イスラム法が決める)をすれば緑園へ, 悪いことをすれば地
          獄へ堕とす。最後の審判の後, 再び肉体(永遠の命)が与えられる。
               ジハード(聖戦)にて戦死した人は天国へ直行。
 
      六信:Allah, 天使,教典,預言者,来世,天命
 
      教典(四書):the Koran, Torah(モーセ五書), 詩篇(タビデ), the Gospels(福音書)
 
      預言者:アダム, ノア, アブラハム, モーセ, イエス等 及び最後の預言者であるマホメット
          マホメット以前の孔子、釈迦も預言者。
         (キリストは預言者の一人で、神ではなく人であるとしている)
 
    規範:勤行(五行) − 信仰告白, 礼拝, 断食, 喜食, 巡礼
 
* 日本の仏教:
   鑑真和上(678-763):天台宗(法華経を基本の教義とする)
             正しい戒を教える為に来日
       (本来の仏教の根本は釈迦の定めた戒を守り, 迷いを絶ち 悟りを開くこと)
 
   弘法大師空海:密教 眞言宗
         (大日如来を教主, 大日経,金鋼頂経を根本経典として 即身成仏を説く)
 
   伝教大師最澄(767-822):天台の円戎 (実質的に戒律を全廃)
 
   法然上人:浄土宗 (阿弥陀仏にすがる)
 
   親鸞上人:浄土真宗 (阿弥陀仏の他力本願の信心によって成仏することを
                          宗旨とする) − 僧侶の婚姻を認める!
 
   日蓮上人:法華経信仰 (法華経を万能とする)
    − 親鸞日蓮革命により 誰でも自由に宗教家になれるようになった!
                (平安時代までは僧侶は学問修行を積み朝廷から官位を得た)
 
   弥陀の本願:極楽浄土に生まれたいという希望を持つ人はすべて救済したい
 
   本地垂迹説:仏, 菩薩が衆生を救うための一つの手段として, 仮にわが国の
                  神の姿をとって現れる − 神道。
         (それぞれの風土社会に応じて姿を現わす)。
 
   八宗綱要:凝然大徳 (1240-1321) –最高の仏教の解説書(平川彰東大教授)
 
      壇家制度: 徳川幕府 − 政治による宗教支配
 
よくわかる新宗教 より抜粋 弓山達也仮想研究所

1995年から1996年にかけて『産経新聞』宗教欄で「よくわかるシリーズ」が連載。私は新宗教部門を担当しました。

第一回/璽光尊事件の不幸な幕開け
 ここに一葉の写真がある。昭和二十二年早春、雪の金沢。そこには六十九連勝記録をもつ元横綱双葉山、そして囲碁の天才呉清源らが写っている。手を合わせ、体を揺らし、深刻な面持ちのなかにもほのかな期待の笑みがうかがえる。ある程度の年代の方ならすぐわかるはずである。
 璽光尊事件――それは敗戦まもない頃、神示に基づき、女性教祖の璽光尊率いる教団・璽宇が世直しを掲げて独自の内閣構想を打ち出し、「元号」を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてマッカーサーに自らの「皇居参内」を命じ、やがて金沢に「遷都」し、そこで県警を相手に大立回りを演じた事件である。彼女は金沢で天変地異の預言を喧伝して私造紙幣を発行し、人々に少なからぬ影響を与えていた。そして数十名の警察隊による急襲と乱闘の末、璽光尊をはじめとする教団幹部は身柄を拘束された。璽光尊は精神鑑定により誇大妄想症と診断され釈放。双葉山、続いて呉清源は教団を去った。対馬路人関西学院大学教授は、大がかりな取締りのわりには事件が急速に収拾した背景には、検挙を急ぐ警察、宗教弾圧という形を避けるよう介入・指導したGHQ、双葉山奪還を目指すグループの思惑が複雑に錯綜していると指摘する。だが、いずれにせよ事件の一連の過程で、マスコミによる「璽光尊=狂人「璽宇=邪教」観が世に知れ渡り、この教団は各地を転々とし、今でも現存するものの社会的には葬り去られたといってよいだろう。
 そして、これは璽宇だけの問題でなかった。この事件の翌年に天照皇大神宮教北村さよが「踊る神さま」として世間の耳目を集めた。彼女が求めた、荒廃した人心の浄化のメッセージは取りあげられることなく、ただ歌説法というユニークな布教方法のみが興味本位で報道されていった。この北村さよ、そして手かざしの浄霊やMOAブランドで知られる世界救世教岡田茂吉もやはりマスコミに「第二の璽光尊」と呼ばれた。璽宇に代表されるファナティックな信仰、世間を騒がせる厄介者のイメージは、ある意味で新宗教全体のレッテルとなったといってよい。むろん、これは戦前からの新宗教に対する猛烈な批判キャンペーンの連続ともとらえられるわけだが、少なくとも戦後の新宗教のイメージは、璽光尊から始まった。そしてこの新宗教観は今も変わっていない。いや、璽宇と同じように独自の省庁制や終末預言を特徴とするオウム真理教や霊感・霊視商法の事件もあって、むしろ強まっているともいえよう。
 ――この連載では、日本近代の幕開けから現代に至るまでの新宗教の歴史を今の現状と重ねつつ、わかりやすく解説するものである。そうすることによってオウム真理教という一見特殊に見える教団の登場も、新宗教の流れのなかに位置づけられ、冷静にとらえかえすこともできるのではないだろうかと思う。

第二回/新宗教の源流
 前回、戦後の新宗教には熱狂的な信仰や厄介者のイメージが常につきまとっていると述べた。 特に「新興宗教」という言葉には、正統ではない、危ないといった侮蔑的な響きさえある。だが、新宗教といっても必ずしも
「新」の要素だけではない。新宗教の歴史を注意深くみてると、意外に古い伝統や庶民性に根ざしていることがわかる。
 例えば実行教・丸山教・扶桑教といった教団は富士山への信仰を要とし、教団組織は明治に入ってからだが、その信仰は江戸時代中頃までさかのぼることができる。当時は実際に富士山への登拝はできなくても、富士山を模した塚への礼拝やお籠りがリクリエーションとして盛んに行われていた。御嶽教も木曽御嶽山信仰を基盤としており、山岳宗教から発生した新宗教は少なくない。
 江戸時代末期に創唱された黒住教・天理教・金光教は、教祖の教えの独自性が核となっているが、その背景に庶民信仰との影響関係をみることもできる。黒住宗忠は伊勢参りに熱心だったし、中山みき金光大神はそれぞれ山伏行者石鎚信仰の先達との交流のなかから自ら啓示を受けるようになっている。教団側では教祖の独自性や革新性を強調するばあいが多いが、いずれにせよ、当時の庶民信仰の要素を無視しては教祖の教えは理解できない。
 こう考えると、新宗教、特に「第一次宗教ブーム」と呼ばれた幕末維新期の新宗教は、ある日突然新たな装いで現れたのではなく、こうしたごく普通の庶民の宗教的世界から生れ、組織化されたという見方もできる。教祖も宗教的なエリートではないし、信者もごく普通の人々が中心であった。その意味でこれらの教団に対して新宗教という呼称を用いず、むしろ民衆宗教という用語を好んで使う研究者もいる。教祖にせよ、信者にせよ、自分たちが何か特別なことをしているという意識はどれほどあったのだろうか。むしろ私たちが考えるより、ごく普通の生活感覚で信仰に関わっていたのではないかと想像するが、これなどは新宗教の 「新」とは何かを問い直すこととともに、新宗教研究の今後の課題といえよう。

第三回/国家と新宗教との対決
 前回述べた幕末維新期、つまり第一次宗教ブームの教団が社会にそれなりに定着し始めた明治末から昭和初年。再び第二次宗教ブームともいうべき活発な新宗教の活動が見られる。これには教団の性格からいって三つくらの特徴が指摘できる。
 まず第一に明治後期に生まれて大正期に拡大した大本太霊道(たいれいどう)。この二教団は霊の操作による病気治しや社会への働きかけで注目を集めた。第二にこの大本と天理教の分派であるほんみち。これらは強い終末預言を唱えて世間の耳目を集め、大本は大正十年と昭和十年に、ほんみちは昭和三年と十三年に大規模な取締りを受けている。第三に昭和初年のひとのみち教団(現PL教団)霊友会の大都市における発展があげられる。ひとのみち教団も昭和十一年に取締りを受けている。
 第二次宗教ブームは西欧列強の仲間入りを果した日本が、太平洋戦争に突入しようとした時期でもある。現人神(あらひとがみ)天皇をいただく日本は極めて神権的国家の色彩が強く、旧憲法では「信教の自由」が認められていながらも、国家の論理と合い容れない性格や権威体系を有する教団は、不敬罪や治安維持法を中心に徹底的に取締られた。事実、新宗教のなかには天皇の権威や国家体制を否定する教義を掲げた教団もあったが、内務省のマル秘資料などをみると、宗教者一般の言動が厳しい監視や干渉の対象となっていたのがわかる。こうしてキリスト教や仏教の新興勢力もやはり打撃を加えられた。
 昨年の宗教法人法改正やオウム真理教に対する破防法適応の議論の際に、国家による宗教団体の過度な統制の懸念が宗教界から出されたのは、このような「宗教弾圧」の苦い思い出に起因している。先の教団は太霊道以外はいずれも現在では数十万から数百万信者を誇る大所帯となっている。だが、その草創期は、決して楽なものではなく、この時期は他にも辛酸をなめた教団は多い。教団の中には崩壊したものもあれば、幹部が獄死しているばあいもある。新宗教が再び活発に運動を展開するようになるのは戦争の終結をまたねばならなかった。(12文字×73行)

第四回/都市のなかで
 敗戦は日本にとって大きな打撃であったが、同時にこれは、それまで取締当局の監視と干渉のもとで活動がままならなかった新宗教教団が、満を持して布教に乗り出す好機でもあった。特に、昭和二〇年代、三〇年代には、現在、大教団と呼ばれる教団が急成長を遂げた。
 敗戦直後には、この連載の最初にも述べた璽宇(じう)や天照皇大神宮教が登場するが、そのあとに霊友会、PL教団、生長の家、世界救世教、立正佼成会、創価学会といった教団が続いた。もっともこれらの教団はその起源を戦前に求めることができるが、大きく成長するのは主に戦後である。
 例えば、立正佼成会は主婦層、中小経営者・労働者層を中心に祖先崇拝の実践と「法座」と呼ばれる信仰体験にそくした語り合いの小グループの魅力で進出した。創価学会も家庭集会である「座談会」と折伏(しゃくぶく)という積極的かつ多角的な布教展開で、やはり中小経営者・労働者層に強くアピールした。いずれも法華経を基盤に、貧しさ、病気、家庭不和などの解決といった現世利益(げんぜりやく)を力強く約束して都市部で教勢を伸ばした。
 前回触れたように、霊友会と、戦前はひとのみち教団といったPL教団は、昭和初年に都市部でかなりの信者を集めていた。霊友会は東京でひとのみち教団は大阪で庶民層を中心に現世利益を掲げた布教を成功させていたのである。
 この時期の特徴はやはり都市での運動展開であろう。農村から出てきて都会のかたすみでひっそりと暮らしている、どちらかという豊かではない人々に、こうした教団は個人と家庭の幸せを説いて、彼らの心をとらえた。この時期、第三次宗教ブームの都市での展開は、第一次宗教ブームの教団が農村から始まり、いわば 「村落宗教」の様相さえ呈していたのとも異なるし、天下国家を論じた大本やほんみちとも区別される。
 むろん、こうした新宗教の活動が、日本の敗戦から朝鮮戦争特需をばねに、そして高度経済成長下で進行した都市化と核家族化の流れに照応しているのはいうまでもない。

第五回/社会を写す鏡
 昭和二十年代から三十年代にかけて、霊友会、パーフェクト・リバティ教団、生長の家、世界救世教、立正佼成会、創価学会といった教団が躍進を遂げたことは前回述べた。社会学者の調査によれば、昭和二十年代前半の東京の立正佼成会では、入信理由は病気四八%、貧困一八%、家庭不和一八%。また、昭和三十七年の福岡市の創価学会員では、病気二八%、人に言われて二五%、家族関係一六%、お金一三%となっている。新宗教の入信理由は貧・病・争(人間関係)といわれ、これは当時のまだ貧しかったころの日本の社会状況を反映していた。
 しかし、高度経済成長によって日本が曲がりなりも「豊かな社会」を実現したとき、貧・病・争の解決を掲げて活動をしてきた新宗教の存在基盤は危うくなった。事実、先の教団で過去二十年間教勢を伸ばし続けているところは少なく、多くは横ばいか低迷を余儀なくされている。
 こうしたなか、新しいタイプの教団が急成長した。オウム真理教の麻原彰晃が一時期身を置き、「阿含 (あごん)の星祭り」で知られる阿含宗、手がざしの「真光の業」を重んじる崇教真光(すうきょうまひかり)や世界真光文明教団幸福の科学の大川隆法SF作家の平井和正らに大きな影響を与えた高橋信次のGLAなどがそうした教団である。これらが昭和四十八年のオイルショック以降教勢を拡大させ、霊現象と秘儀や奇跡を重んじるところから、西山茂東洋大学教授は「霊術系新宗教」と呼んでいる。一般には新新宗教、第四次宗教ブームと呼ばれる教団群である。
 このころはノストラダムスの予言、エクソシスト(悪魔祓い師)、超能力など、科学では理解できないもが話題を集めた時期でもあった。第四次宗教ブームは、こうしたいわばオカルト文化を背景にしているとよく指摘される。確かに、崇教真光の青年信者の入信理由は霊界志向二四%、理由なし二三%、病気二二%、家庭の問題七%、終末観六%の順となっている。ここにもそれまでの新宗教にはない新しさがみられ、新宗教が当時の社会的風潮を写し出す鏡のような存在であることがわかるであろう。

第6回/手かざしの系譜
 これまで新宗教教団の成立に従って四つの宗教ブームをみてきた。新宗教というと一つひとつが独立しているかのような響きがあるが、詳しくみていくと影響関係やがあるばあいが少なくない。
 例えば大本とそこから分派した世界救世教。この二つの教団の影響は新宗教の世界では大きい。街頭でみかける手かざしの教団・神慈秀明会もこの系統である。そもそも大本では御手代(みてしろ)と呼ばれるしゃもじをかざす病気治しがあった。大本の布教に専念していた、後の世界救世教教祖の岡田茂吉も、大本では扇を用いたり、また手をかざして病気治しを行っていた。
 この手かざしの浄霊が世界救世教の拡大の原動力となり、この教団から独立して世界真光文明教団を設立した岡田光玉(かうたま)は手かざしを真光の業と呼んだ。茂吉の死後、世界救世教からは十を越える教団が分派したが、先の神慈秀明会をはじめ、茂吉を明主(めいしゅ)と仰いで浄霊を用いる教団は多い。
 同じように大本も影響を与えた教団は十をくだらない。 大本のエリート幹部の浅野和三郎心霊科学研究会を開き、生長の家の教祖の谷口雅春は大本で編集の仕事に携わり、生長の家からは「世界人類が平和でありますように」の標語が有名な白光真宏会の五井昌久が出ている。
 このように世界救世教系の教団群を含めると、神道を基盤にした霊術の実践や研究など、多くの教団が大本の影響を受けているのがわかる。このことは大本の開祖出口なお聖師出口王仁三郎の懐の深さや人間としての幅の広さをも反映しているといえよう。

第七回/分派と影響関係―掴みずらいその実態
 新宗教の分派と影響関係には二つのタイプがある。一つは支部や道場などが本部から組織的に分派するタイプ。もう一つは信者や教師が組織から離れて個人的に活動を始め、結果として新たな教団を興すことになるタイプ。前者の典型は霊友会で、ここからは孝道教団、立正佼成会、妙智会、妙道会などが独立している。
 後者としては天理教系の教団があげられる。もちろん天理教にも組織的な分派は希にあるが、基本的には教会が強い親子関係で結ばれ、本部の聖地でしか行われない秘儀もあり、簡単には分派できない仕組みになっている。だが、時として教祖・中山みきの後を継ぐとして天啓者を自称する信者が組織から離れ、そこに人が集まり、新たな教団ができることがある。朝日神社ほんみちはそうした教団であり、また、ほんみちとその系統の天理三輪講(さんりんこう)、天理神之口明場所(かみのくちあけばしょ)などは、戦前、天皇に代わる天啓者を強く待望したため、いずれも治安維持法違反で関係者が検挙されている。
 戦後、天理神之口明場所からは霊能者を中心とする教団が十以上輩出され、そのなかには芹沢光治良の晩年の小説で重要な役割を果たす、中山みきの言葉を取り次ぐ「川口の伊藤青年」も含まれている。天理教の影響を受けた教団では、みきを教祖と仰いで天理教の用語や儀礼を踏襲することが多く、その意味で前回扱った大本系の特に世界救世教系教団と似ている。
 この他、新宗教のなかではGLA本門仏立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)、中山身語正宗(しんごしょうしゅう)、祖神道(そしんどう)といった教団の影響が大きくて系統の教団も多い。だが、研究者としては分派や影響関係については話題が微妙なだけに調査もしずらく、関心はあるものの実態がつかみずらいというのが本音である。

第八回/オカルト志向と新宗教
 筆者は昭和三十八年生まれで、大学生の頃は大相撲の当時の新世代が三十八年生れだったことから「サンパチ組み」とか「新人類」のはしりとかと呼ばれ、最近では「オウム世代」といわれる世代に属する。仕事がらオウム真理教の信者に会うことがあるが、確かに彼らと世代的な共通点を感じる。特に男性のばあい、その共通点はオカルト志向と言い表せよう。
 オウム信者が空中浮揚といった超能力やハルマゲドンの到来を信じてきたことが、どうも理解できないという人は多い。だが筆者らの世代では漫画などの若者文化の影響で、超能力やハルマゲドンといったオカルトの世界には小さい頃から慣れ親しんできた。昭和四十年代後半、永井豪「デビルマン」では人類が滅び去る過程と善と悪との最終戦争がモチーフとされ、つのだじろう「恐怖新聞」「うしろの百太郎」では心霊現象がリアルに描かれていた。学校ではこっくりさんが大流行し、テレビではユリ・ゲラーや同年代の少年のスプーン曲げが話題となり、『ノストラダムスの大予言』『日本沈没』の情報も耳には入っていた。
 同時にこの頃はオイルショックによる高度経済成長の破綻で、将来に対する漠然とした不安を感じとっていたし、公害問題等で科学や産業が必ずしも人間を幸福にするとは限らないということも薄々わかりはじめていた。このようななかでオカルトの世界は現実とは別の「もう一つ世界」だったし、筆者のまわりでも、こうした世界があっても不思議ではないという雰囲気があった。
 昭和五十年代になっても、『ムー』『トワイライトゾーン』『ハロウィン』『マイバースデー』といったオカルト、ホラー、占いなどの専門誌が創刊され、また大友克洋「アキラ」宮崎駿「風の谷のナウシカ」をはじめ人類の破局や超能力を扱った漫画も人気を博し、こうしたオカルト志向は持続されていった。オウムの体験談や脱会信者の手記をみると、このような雑誌や漫画に影響された人が多いことがわかる。オカルト志向は明らかにオウムをはじめとする現代の新宗教の展開の土壌となっている。

第九回 自分探し志向と新宗教
 前回、オウム世代の共通点として、男性のばあいはオカルト志向があると述べた。では女性のばあいはどうであろうか。もし単純化が許されれば、それは自分探し志向といえると筆者は考えている。
 筆者が面談した二十九歳のオウム真理教の女性信者は入信の理由を「人生の虚しさ」と表現していた。特に不幸というわけではないが、まわりは結婚していくし、昔みたいにちやほやされなくなるし、仕事はつまらない。そのようななかで常に何か目標を持ちたいと思ってきたが、それが何だかわからなかったと彼女は話す。そして出会ったのがオウムだった。
 こうした話は何もオウムに限ったことではなく、虚しさ、漠然とした不安、人生の意味を見出だせないといった理由は新宗教の入信動機として決して珍しくない。自分の存在が何だかわからず、本当の自分を追い求め悪戦苦闘する姿がそこには見え隠れしている。
 統計によれば、青少年の約三割が自分が「嫌い」または「やや嫌い」と答え、筆者が教鞭をとる看護専門学校でも、アンケートで 「人間はずるい、きたない」といった否定的な人間観を示す学生が毎年だいたい三割程度いる。
 こうした自分や人間そのものに対するある種の嫌気をバネに、「本当の自分」「もう一人の自分」の探求や潜在能力の開発についての関心が高まってきた。わずか数日間で魅力的になれるという自己啓発セミナー、潜在能力や多重人格に関する書籍の人気、女性誌を中心とした簡単な心理分析とその処方箋の特集、女優のような格好をしてプロの写真家が撮影してくれる変身写真館など、自分探し志向の諸現象はバブル期より目につきはじめ、現在も続いている。
 そもそも宗教はこうした自分探しに応えることを得意としてきた。その中でもオウム真理教をはじめとする最近の新宗教はそれをわかりやすい形で、時には短期間かつ安直な方法で可能にすると約束し、若者の心をとらえてきた。「オウムで救われた」と、今もこの教団を離れえない信者がいる理由の一つはここにある。むろん、その内容が今問われてべきなのはいうまでもないが‥‥。

第一〇回 精神世界ブームの昂まり
 これまで述べたように、オウム真理教登場の背景にはオカルト志向と自分探し志向が潜んでいる。青年層のこうした志向性をひっくるめて何と名付けるか、宗教学の分野でも話題になることが多い。日本のマスコミでは精神世界、アメリカではニューエイジという語が用いられる。島薗進東京大学教授は新霊性運動という用語を提唱するが、ここではニューエイジとよんでおこう。
 オカルトや自分探しも含めて、神秘や精神性を探求する動向は一九六〇年代後半にアメリカでおこった。関連の書籍には精神性の発達」「意識のルネッサンス」「霊的な目覚め」といった言葉がちりばめられ、意識変革を目指している点で共通している。そこには、今の人々の意識や社会のあり方とは全く異なった新たな世紀の到来への待望が感じられる。ニューエイジは特定の組織をもつわけではないが、時代の雰囲気として広く共有されているといみてよいだろう。
 ニューエイジに関する情報は、日本では昭和四十年代後半には一部の青年層の間で知られていた。その後、特に六十一年のシャーリー・マクレーン『アウト・オウ・ア・リム』の翻訳と、そこで紹介されたチャネリング(宇宙意識との交流)の普及が、ニューエイジの大衆化に拍車をかけるきっけとなった。心の時代と呼ばれて二十年近く、バブル期に始まった自分探しブームから数えて約十年、日本でも着実にニューエイジは根づきつつある。
 一方、新宗教ブームといわれて久しいが、実は新宗教教団で信者数を伸ばしているところはそう多くない。大教団では横ばいか下降といったところである。そうすると、青年層の広い意味での宗教的関心は新宗教ではなく、ニューエイジの方に向かっているとみていいかもしれない。宗教教団のようにお布施や修行といった拘束力をもたないニューエイジは、確かに個人主義的な傾向の強い青年層に受け入れられやすい。事実、原宿や渋谷や青山にある、ニューエイジ関連の書籍やグッズを扱う店(ニューエイジショップ)は、休みになるといつも若者でいっぱいである。

第一一回 カルトと新宗教
 個人主義が広がるなかで、その風潮に合致したニューエイジ運動が青年層に浸透し、従って新宗教ブームといっても、教団組織が大きくなっているとは限らないと前回は述べた。だが、新宗教教団のうち、幸福の科学などは、教団の拘束力が比較的弱く、これが青年層にウケている理由とも考えられよう。オウム真理教も、道場に行ってみるとわかるのだが、信徒は来たい時に道場に来て、全員で行う儀礼は少なく、暝想する人、作業する人、ヨーガをする人、皆ばらばらである。こうした点が信徒にとって干渉されない心地よさともなり、事実、うっとうしい人間関係を捨てて出家を選んだ理由ともなっている。
 本来、人と人との密接な関係を基盤とする宗教にあっても、このように個人主義の影響を受けている。考えてみれば宗教に関する情報は巷にあふれ、現代人は特に教団に入らなくても宗教的欲求を満たすことができる。映画や小説を個々人の趣味で選ぶように、宗教も個々人の関心事に縮小されつつある。
 だが、その反面、こうした個人主義的な傾向と相反する宗教的動向も現れている。自分たちだけの価値観を守り、全人格的な関わりを求めるカルトなどがそうである。宗教社会学ではカルトとは世俗からの逃避と神秘体験の性格を有する教団のタイプなのだが、現在、一般には熱狂的な崇拝やこれを行う集団に対して侮蔑的な意味を込めて、この用語は使われている。
 カルトの存在を広く世界に知らしめたのは、チャールズ・マンソン率いるファミリーによる女優シャロン・テートらの惨殺(一九六九年)、南米ガイアナで起きたジム・ジョーンズの人民寺院九一二人の集団自殺(一九七八年)、テキサス州に本部を持つデイビッド・コレシュのブランチ・デヴィディアンの銃撃戦と集団死(一九九三年)、カナダとスイスで起きたリュック・ジュレが創始した太陽寺院教団の集団自殺(一九九四年)など、一連の凄惨な事件である。
 現代宗教は個人の自由な関わりと、カルトのような尖鋭化の二つの方向に分極化している。なぜ相反する動向が同時に起きるのか。次回、この連載のまとめとともに説明していきたい。

第一二回、新宗教の行方
 個人主義的傾向が広く受け入れられていくなか、個々人の自由な関わりを旨とするニューエイジのような運動と、逆に個人の自由を否定し、メンバーを強くつなぎとめるカルトのような運動の二つの相反する方向に、今の宗教動向は分極化している。だが、その背景にはあるのは、絶対的な価値観を失い、個々人がそれぞれの生きる意味や人生の目的を模索していかなかればならないといった、現代社会の価値相対主義という点で共通している。
 価値相対主義の現代では、人は林立する価値観のなかから自分の志向性に合ったものを選択すればいい。ニューエイジはもちろん、今の新宗教が行う、一般書店での書籍販売や、コンサートのようにチケットを購入して講演会を聞きに行くといった信者の自由なかかわりを強調する布教方法は、確かに現代人にとって気楽に宗教に触れる魅力となっている。お金を出せば「宗教」や「生きがい」を買える時代なのである。
 自由に自分の生きる意味や人生の目的を探すのは意義のあることだが、その反面、それは険しい道であり、責任は自分でとらなければならない。そんな大変さから逃れて一つの価値観を信ずることができれば、どんなに楽だろうか。セックスやグルメやファッションなど、若者が自由を謳歌しているのを道徳の衰退とみなし、絶対的な価値観を前面に押し出すことによってカルトは価値相対主義を乗り越えるのだと主張する。新宗教でも、自由に欲望を満たそうとすることを苦の根本ととらえ、強く改心を迫るばあいが多い。
 現代の価値相対主義をめぐって、ニューエイジ的傾向とカルト的傾向の二つの方向が同時進行していることを説明してきた。ニューエイジやカルトというと極端に聞こえるかも知れないが、今の新宗教も、これらの要素は多かれ少なかれ持っている。ニューエイジ、カルト、新宗教の垣根は低く、三者はなだらかに連なりながら現代の宗教動向を形成しているとみてよいだろう。価値相対主義の根本的な解決がないまま、混迷の度合いを深める現代にあって、ニューエイジやカルトを含めて広い意味での新宗教がどのような現れ方をするのか、その動向を見守り続けたいと思う。

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(生年月日:1947年4月8日)

最終学歴:早稲田大学商学部1971年3月卒業

職歴:
1971年4月 丸紅鞄社 (当時は丸紅飯田株式会社)
1975.10 - 1982.09 丸紅 クアラルンプール支店
鉄鋼 兼 非鉄金属 兼 鉄鋼原料 兼 繊維部長。
1982.09 - 1985.04 丸紅 東京本社。 マレーシア、インド、インドネシア、
シンガポール等出張。
1985.04 - 1988.11 丸紅 タンザニア国 ダレサラーム出張所長。 
西欧、東欧諸国出張。
1988.11 - 1990.12 丸紅 東京本社。 中近東アフリカ諸国、タイ台湾
中国、欧州等出張
1990.12 - 1995.07 丸紅 プノンペン出張所長 兼 ビエンチャン出張所長。
1995.07 - 1995.09 丸紅 東京本社。
1995.10 - 1996.03 NK金属加工鰹o向。 韓国出張。
1996.04 - 2001.03 丸紅 中国雲南省昆明出張所長 兼 重慶出張所長。
アジア、中国各地出張。
2001.04 -       曼谷香花有限公司 代表

趣味: ゴルフパソコン、ホームページ制作、ダイビング合気道読書占い
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日本聖書協会 : http://www.beble.or.jp/whatsjbs/jbsis.html/

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釈迦如来の生涯 : http://mujintou.lib.net/bukkyo/buddhatop.htm

曹洞宗 : http://www.sotozen-ne.or.jp/index.htm

般若心経 : http://www.geisya.or.jp/~oterasan/okyou/singyou.htm

密教 : http://www.mikkyo21f.gr.jp 出口王仁三郎霊界物語